≪プロフィール/チャールズ・チャップリン≫
【生年月日】1889年4月16日
【没年月日】1977年12月25日(享年88歳)
【生誕地】イギリス ロンドン ランベス
【性別】男 【職業】俳優、監督、脚本家、プロデューサー、作曲家
【略歴】
- 父チャールズ・チャップリンSr.、母ハナ・チャップリン、共に歌手。 チャールズ・スペンサー・チャップリンには3歳年上で映画俳優を経てマネージャーとなった異父兄のシドニー・チャップリンと、チャップリンの撮影所に雇われ献身的に尽くした3歳年下の異父弟ウィーラー・ドライデンがいる。
- 2歳、両親離婚。
- 5歳頃、母が健康を害し声がかすれて歌えなくなる。 母に連れられ劇場に出入りしながら覚えた見よう見まねで母に代わり舞台に立つ。 これが初舞台となる。
- 7歳、極貧生活の中、母が精神に障害を来たし精神病院に収容される。 以後入退院を繰り返すことに。 幼い兄弟は孤児院を転々としながら学校に通う。
- 10歳、エイト・ランカシア・ラッズ劇団に認められて入団、学校に籍を置きながらキャストの一員として「シンデレラ」のパントマイムを演じ、巡業。
- 12歳、父チャールズ・チャップリンSr.死亡、享年37歳。
- 17歳、フレッド・カルノー一座に俳優として参加していた兄シドニー・チャップリンに勧められ、派手なパフォーマンスで同座のテストに受かり初年度、週給約600円(3ポンド10シリング)で契約。
- 24歳、カルノー一座で花形的存在に成長。 一座と共に渡米し各地を巡業中、コメディ専門の映画会社キーストン社のマック・セネットに認められ同社と契約。 週給約16,000円(150ドル)、1年。
- 25歳、映画「成功争ひ」に初出演。 第2作「犬の為め」に、ダブダブズボンに大きなドタ靴、チョビ髭で山高帽にステッキの浮浪者スタイルで初登場し人気をさらう。 第4作「夕立」で初主演。 第13作「半日ホテル」で主演・初監督・初脚本。 11月、出演料問題でキーストン社を辞める。 同社在職中の作品数35点。 エッサネイ社と契約、週給約14万円(1,250ドル)。 第一次世界大戦開戦。
- 27歳、偶然出会った、会社でタイピストをしていた21歳の女性に一目で惚れ込み、「チャップリンの夜通し転宅」に出演させる。 芸名をエドナ・パーヴィアンスと名づけられた彼女は、以後チャップリンの映画35本で共演する。 「チャップリンの拳闘」、「チャップリンの改悟」など15作品をエッサネイ社で手がける。 一方、映画会社各社がチャップリンの業績を認め、チャップリンの"争奪戦"を始める。 破格の条件を受け入れたミューチュアル社と契約。 契約金1千700万円(15万ドル)、週給約110万円(1万ドル)。 「チャップリンの替え玉」で初プロデュース。
- 28歳、「チャップリンの伯爵」、「チャップリンの移民」など12作品をミューチュアル社で手がける。 「チャップリンの移民」では貧しい母娘にバクチで稼いだ金をそっと与える役を演じ、これまでのドタバタ喜劇の領域を初めて越え、"愛の美しさ"を描いた。ファースト・ナショナル社(のちにワーナー・ブラザーズに吸収合併される)と契約し100万ドルスターに。 年収約1億2千万円。 ハリウッドに撮影所を建て、ここで充分な時間と費用をかけて撮った作品を世に送り出すことになる。
- 29歳、「犬の生活」で野犬の群れから野良犬を助ける浮浪者の役を演じ、酒場の娘とのロマンスもからめた涙と笑いの新しい喜劇スタイルを確立する。 16歳の女優ミルドレッド・ハリスと結婚。
- 30歳、1919年、D.W.グリフィス、ダグラス・フェアバンクス、メーリー・ピックフォード夫妻と共に自作を配給するため、ユナイテッド・アーティスツ社を創立、同社の経営に参加する。 男子、ノーマン・スペンサー・チャップリン誕生、しかし、3日後に死亡。 第一次世界大戦終戦。
- 31歳、ミルドレッド・ハリスと離婚。
- 32歳、「キッド」で、男に捨てられた若い娘が処理に困り、置き去りにした赤ん坊を拾い育てる浮浪者役で、主演・監督・脚本。 初の長編映画(53分)。
- 34歳、ファースト・ナショナル社との契約を終え、ユナイテッド社での第1作、「巴里の女性」で、フランスの田舎町に住む美しい娘を愛しながら悲恋に終わる貧しい青年画家を演じる。この作品は自分と35本で共演してくれたエドナ・パーヴィアンスへのお礼のつもりで製作したもので、監督・脚本・製作をしたが自分は出演せず彼女に主演させた。
- 35歳、「チャップリンの黄金狂時代」の主演女優として契約した16歳の女優リタ・グレイと2度目の結婚。 リタ、妊娠のため主演女優の役を降りる。
- 36歳、「チャップリンの黄金狂時代」で主演・監督・脚本・製作。 ゴールド・ラッシュにわくアラスカを舞台に、放浪者の一攫千金の夢と恋を描く。 山小屋で飢えたふたりがドタ靴を煮て食べるシーンなどチャップリン珠玉の演技も豊富な、喜劇映画の大傑作となる。 長男チャールズ・スペンサー・チャップリンJr.誕生。
- 37歳、次男シドニー・アール・チャップリン誕生。
- 38歳、リタ・グレイと離婚。
- 39歳、母ハナ・チャップリン、カリフォルニアで死亡、享年63歳。
- 42歳、「街の灯」で、これまで映画は見れば分かるものだから音は不要、世界共通の言語はパントマイムだとサイレントにこだわって来たが、この作品で初めてテーマ曲だけをサウンドで流す。 当時は「西部戦線異常なし」、「巴里の屋根の下」、「嘆きの天使」などが次々にトーキー(音声入り)で公開され、サイレント映画は終焉の時期を迎えていたが、「街の灯」は世界中で大ヒットとなる。
- 「街の灯」完成後、1年4ヶ月間にわたる世界一周の旅に出る。 各国で歓迎を受ける中、政界をはじめ各界の要人に会い世界の抱える問題について意見交換を重ねる。 この旅の中で次作「モダン・タイムス」、「チャップリンの独裁者」、「ライムライト」などのヒントを得る。
- 43歳、世界一周旅行も終わりに近い1932年5月、東京に着き、群集の大歓迎を受ける。時の首相、犬養 毅が6人の極右分子に暗殺された事件が起きた時、首相子息と相撲の見物中だった。 6月帰国。 これまで抱いてきた経済問題についての思いを論文にまとめ、報道陣に示す。 雑誌「婦人の家庭の友」に連載で「コメディアンが見た世界」を執筆。
- 47歳、「モダン・タイムス」で、ラスト近く、レストランの給仕が即興で歌う場面でこれまで守ってきたサイレントを破り、始めて発声、何語ともつかぬ即興の言葉で歌って、世界中をその声で驚かせる。 共演した女優ポーレット同伴で極東に休暇旅行に出かけ、この旅行先、広東でポーレット・ゴダードと3度目の結婚。
- 51歳、1940年、「チャップリンの独裁者」で、ユダヤ人の床屋とドイツのヒットラーを模したヒンケル独裁者のふた役を、ヒンケルはドイツなまりの厳しい声、床屋はいかにも優しい声で演じ、トーキーを使いこなして見せる。 ヒトラーの独裁政治によるナチズムの狂気とユダヤ人への迫害を痛烈に批判し、平和を訴えている。この時期、現にナチがポーランド侵攻を始めたところで、万一ナチが勝利すれば死刑は必至のはずだった。しかし、戦争そのものを否定するこの作品は、戦争への道を邁進するアメリカの国策に反し、アメリカ国民に受け入れられず、国家への破壊活動を調査するアメリカ非米活動委員会がマーク。以後、同委員会の執拗な監視を受けることになる。
- 52歳、ブルックリン出身の22歳、かけ出しの女優ジョーン・バリーと出会い、企画していた「影と実体」の主役にと1年間の契約を結ぶ。 第2次世界大戦勃発。
- 53歳、ジョーン・バリー精神的不安定に陥り、同意の上、契約を解除する。 ポーレット・ゴダードと離婚。
- 54歳、アメリカで最も有名な戯曲作家の娘で18歳、女優志願のウーナ・オニールと4度目の結婚。
- 55歳、長女ジェラルディン・リー誕生。
- 56歳、1945年、第2次世界大戦終戦。
- 57歳、女優ジョーン・バリーに父権認知訴訟を起こされる。 産まれた子供の血液鑑定の結果チャップリンの子供でないことが判明したが、当時裁判所は血液鑑定を証拠として認めておらず、のちの裁判で11名女性・1名男性から成る陪審員団が、バリー側の情緒に訴えた弁護にひかれ、その結果、評決11対1でチャップリンが敗訴。 世論の激しい攻撃を受ける。
- 58歳、「チャップリンの殺人狂時代」で、実直な銀行員がクビになり、金持ちの中年女と結婚しては殺して保険金を奪う悪事を繰り返し生きていく男を演じ戦争による大量殺人を痛烈に批判する。 この時期、第2次世界大戦の戦勝に沸き立った後、アメリカではマッカーシー旋風(赤狩り)が巻き起こり、反共産主義が謳歌され始めていた。 「〜独裁者」で戦争そのものを否定し、また、戦争の名のもとに大量殺戮を正当化する国家を批判したこの作品で、チャップリンは非米活動委員会から共産主義支持者とみなされる。 前年の父権認知裁判のかんばしくない世評に加え、彼のこの政治的姿勢に対する大衆の不満から各地で上映中止が相次ぐ。
また、この作品では「時代に合わなくなった」と、初めてステッキも山高帽もチョビ髭も捨て、素顔で演じる。 長男マイケル・ジョン誕生。
- 59歳、次女ジョゼフィーン・ハナ誕生。
- 62歳、三女ヴィクトリア誕生。
- 63歳、「ライムライト」で、絶望の末自殺を図るバレリーナを勇気付ける老芸人役を演じる。 作品には老コメディアンとしての自身の心境が老芸人に投影されている。 また、自分に対するアメリカ国家や大衆の厳しい批判の中、この作品を生涯最高かつ最後の作品にすることを意識して製作し、実際にこれがハリウッド最後の作品となる。
シドニー、チャールズJr.、ジェラルデイン、マイケル、ジゼフィーン、ヴィクトリア、ウィーラー・ドライデンら身内の者が多数出演。 プレミアショーを10月・ロンドンと決め、家族全員で現地に入り、初日が終わり次第長い休暇をとる計画で一家はニューヨークを9月に発つ。 だが出航2日後、船に無線で再入国許可の取り消しが伝えられる。 このため帰米できず、スイス、レマン湖に近いヴヴェイに住み着く。 翌年1月、「ライムライト」がアメリカで封切られたが、多くの国民の激しい阻止運動によりたちまち上映中止になる。
- 64歳、「ライムライト」上映への国民の阻止運動が続く中、ハリウッド外国記者協会はこの作品を高く評価し功労賞を授与、父の代理でチャールズ・チャップリンJr.が受け取る。 しかし、チャップリンは2度とアメリカへは戻らない決心を固めて、再入国許可申請を放棄する。 次男ユージン・アンソニー誕生。
- 65歳、世界平和会議賞を受賞、賞金をパリと故郷ランベスの貧しい人々に贈る。
- 66歳、ユナイテッド・アーティスツ社の株式を売却、経営から離れる。
- 68歳、「ニューヨークの王様」をロンドンで製作。 小国の王が亡命先でくり広げる行状記の形をとりながらアメリカの機械主義、商業主義、マッカーシズム(赤狩り)を痛烈に風刺する。 パリのプレミアショーではアメリカの報道陣を締め出す。 四女ジェイン・セシル誕生。
- 70歳、五女アネット・エミリー誕生。
- 73歳、三男クリストファー・ジェイムズ誕生。
- 75歳、「チャップリン自伝」を刊行。
- 78歳、「伯爵夫人」をロンドンで製作。 香港を出航した豪華客船を舞台に、伯爵夫人の恋を描いたチャップリンの遺作で初のカラー作品。 2人目の夫人リタ・グレイとの間に生まれた長男チャールズ・スペンサー・チャップリンJr.死亡、享年42歳。
- 82歳、アメリカの映画人の間でチャップリンを表彰する動きが出る。 1952年に一度封切られながら民衆に阻止され上映を果たさなかった「ライムライト」が、改めてアメリカで公開される。 チャールズ・チャップリンの名がロサンゼルスの「名声の歩道」に加えられる。
- 83歳、ニューヨークとハリウッドに招かれ、「ライムライト」で1972年度アカデミー音楽賞と特別賞を4月16日の誕生日に受賞。 この受賞で63歳にアメリカを離れて以来の双方のわだかまりが解ける。
- 86歳、イギリス政府からナイトの称号を与えられる。 チャップリンの映画作品とプライベート・フィルムを編集したドキュメンタリー作品「放浪紳士チャーリー」がリチャード・パターソン監督により製作される。
- 88歳、1977年12月25日、スイス ヴヴェイで安らかに永眠する。
- 1978年3月1日遺体が盗まれ、同月17日遺体が戻る。
- 1980年9月27日スイス ヴヴェイにチャールズ・チャップリン庭園が開園。
- 1992年、伝記映画「チャーリー」がロバート・ダウニーJr.主演、リチャード・アテンボロー監督により完成。
- 2002年7月21日に公開された英国外務省の1956年の公文書により、当時米国の「共産主義支持者である」というチャップリン批判の風潮を考慮しチャップリンに対して爵位(ナイト)の称号を授与するべきではないと英国政府として見解を出していたことが明らかになった。
ちなみにその20年後の1975年、チャップリンが亡くなる2年前に英国政府により爵位(ナイト)の授与が行われた。(上記86歳参照)
【晩年の住居】
スイス コルシエ・シュル・ヴヴェイ
(Corsier−Sur−Vevey,Switzerland)
【離婚した妻たち】
ミルドレッド・ハリス 1901年11月29日〜1944年7月20日 享年42歳 女優 出演作「Sumuru」、「Melody of Love」など。
リタ・グレイ 1908年4月15日〜1995年12月29日 享年87歳 女優 出演作「Mr. Broadway」、「The Devil's Sleep」など。
ポーレット・ゴダード 1911年6月3日〜1990年4月23日 享年78歳 女優 「モダン・タイムス」、「チャップリンの独裁者」、「ザ・モンスター」など。
【家族構成】
- 妻 ウーナ・オニール・チャップリン 1926年8月1日〜1991年9月27日 享年65歳
- 女優 「Broken English」
- 長女 ジェラルディン・リー・チャップリン 1944年8月1日
- 女優「ドクトル・ジバゴ」、「赤ちゃんよ永遠に」、「ナッシュビル」、「チャーリー」など。
- 長男 マイケル・ジョン・チャップリン 1946年3月7日
- 俳優として「ニューヨークの王様」・「The Sandwich Man」など、
- 脚本家として「Act of Betrayal 1988、テレビドラマ」、「Dalziel and Pascoe: The British Grenadier 1999、テレビドラマ」など、
- プロデューサーとして「"Wish Me Luck" 1987、テレビドラマ」、「The Black Ve lvet Gown 1993、テレビドラマ」など。
- 次女 ジョゼフィーン・ハナ・チャップリン 1949年3月28日
- 女優「Racconti di Canterbury,I」、「Poulet au vinaigre」など。
- 三女 ヴィクトリア・チャップリン 1951年5月19日
- 女優「伯爵夫人」、「"Le Cirque imaginaire" (1989年、テレビドラマ)」など。
- 次男 ユージン・アンソニー・チャップリン 1953年8月23日
- 四女 ジェイン・セシル・チャップリン 1957年5月23日
- 五女 アネット・エミリー・チャップリン 1959年12月3日
- 三男 クリストファー・ジェイムズ・チャップリン 1962年7月8日
- 俳優「トニー・カーチスの発明狂時代」、「太陽と月に背いて」など。
ミルドレッド・ハリスとの間に:
長男 ノーマン・スペンサー・チャップリン 1919年7月7日〜同年同月10日死亡、享年0歳
リタ・グレイとの間に:
長男 チャールズ・スペンサー・チャップリンJr. 1925年5月5日〜1968年3月20日死亡、享年42歳。 俳優「Fangs of the Wild」、「The Big Operator」など。
次男 シドニー・アール・チャップリン 1926年3月30日
俳優「Sept hommes et une garce」、「A doppia faccia」など。
【趣味】
テニス
【墓所】
Corsier-Sur-Vevey Cemetery, Corsier-Sur-Vevey, Switzerland
http://www.findagrave.com/pictures/1886.html
≪出演作/チャールズ・チャップリン≫
成功争ひ(1914年)
犬の為め(1914年)
夕立(1914年)
半日ホテル(1914年兼監督・脚本)
醜女の深情け(1914年兼監督)
チャップリンの夜通し転宅(1915年兼監督・脚本)
チャップリンの拳闘(1915年兼監督・脚本)
珍カルメン(1915年兼監督・脚本)
チャップリンの改悟(1916年兼監督・脚本)
チャップリンの替え玉(1916年兼監督・脚本・製作)
チャップリンの伯爵(1916年兼監督・脚本・製作)
チャップリンの移民(1917年兼監督・脚本・製作)
犬の生活(1918年兼監督・脚本・製作)
一日の行楽(1919年兼監督・脚本・製作)
サニーサイド(1919年兼監督・脚本)
キッド(1921年兼監督・脚本・製作)
のらくら(1921年兼監督・脚本・製作)
偽牧師(1922兼監督・脚本・製作)
巴里の女性(1923年兼監督・脚本・製作のみで出演なし)
チャップリンの黄金狂時代(1925年兼監督・脚本・製作)
サーカス(1928年兼監督・脚本・製作)
街の灯(1931年兼監督・脚本・製作・作曲)
モダン・タイムス(1938年兼監督・脚本・製作・作曲)
チャップリンの独裁者(1940年兼監督・脚本・製作)
チャップリンの殺人狂時代(1947年兼監督・脚本・製作・作曲)
ライムライト(1952年兼監督・脚本・製作・作曲)
ニューヨークの王様(1957年兼監督・脚本・製作・作曲)
伯爵夫人(1967年兼監督・脚本・製作・作曲)
放浪紳士チャーリー(1975年)
チャールズ・チャップリン 出演人気作品一覧
チャールズ・チャップリン 監督人気作品一覧
Copyright (C)ELEPHANT'S ROCKET INC. All rights reserved.
|