≪プロフィール/ショーン・コネリー≫
【生年月日】1930年8月25日
【生誕地】イギリス スコットランド エディンバラ
【性別】男 【身長】約185cm 【職業】俳優
【略歴】
- 父ジョセフ・コネリーは家具運搬用トラック運転手、母エフィーは日雇い掃除婦。 弟ネイル・コネリーは俳優、出演作「Operation Kid Brother」、「Thin Air」など。
- 9歳、生活が貧しかったため、牛乳配達のアルバイトで家計を助ける。
- 15歳、休みがちだった学校を退学。 鉄鋼労働者、セメント攪拌工、レンガ積み、印刷工、棺桶みがきなどの職に就く。
- 18歳、英王室海軍に入隊するが、重度の胃潰瘍のため3年後に除隊。
- 21歳、海軍除隊後、日雇い労働者、ダンスホールの用心棒、美術学校のモデルなどで生活する一方、ウェイト・トレーニングなどのボディビルに励む。
- 22歳、ミスター・ユニバース・コンテスト・スコットランド大会で2位に入賞。 友人に勧められ、舞台「南太平洋」のコーラスボーイのオーディションを受け、合格。 これが舞台デビューとなる。 各地を巡業するうちせりふのある役に変えられて、演劇への関心を深める。
- 25歳、「Lilacs in the Spring」にエキストラで出演。 これが映画デビューとなりタフな肉体を買われて小さな役ながら出演の機会が増える。 この頃、スコットランドなまりを直すよう周囲から忠告されるが、「これが俺なんだ」と、耳を貸そうとしなかった。
- 27歳、のちに007シリーズ第1作の監督となるテレンス・ヤング監督作「虎の行動」に脇役出演。
- 28歳、「Another Time, Another Place」でラナ・ターナーの相手役に大抜擢。
- 32歳、イアン・フレミング原作、ダンディで女好き、殺人許可証を持つイギリス情報部員ジェームズ・ボンドの活躍を描くスパイアクション007シリーズの第1作「007/ドクター・ノオ(公開時タイトルは、「007は殺しの番号」)」で、ジェームズ・ボンド役を演じ、大ヒットとなる。 この成功により"007"ことジェームズ・ボンドはショーン・コネリーのあたり役となり、またシリーズとしてもスパイ映画として最長寿で最高興行収入を稼ぐことになる。 当初ジェームズ・ボンド役は一般公募する予定であったが、その条件である"セクシーでタキシードが似合うイギリス紳士"にショーン・コネリーが適任であることを、5年前「虎の行動」で共に仕事をした監督のテレンス・ヤングが進言し抜擢となった。
女優のダイアン・シレントと結婚。 長男ジェイソン・コネリー誕生。
- 33歳、「ロシアより愛をこめて(公開時タイトルは、「007/危機一発」)」で、2度目のジェームズ・ボンド役を演じ世界中で1作目を越える大ヒットとなり、人気を不動のものとする。 また、007シリーズのヒットにより60年代後半の世界の映画界にスパイ・アクション・ブームを巻き起こす。
- 34歳、シリーズ第3作「007/ゴールドフィンガー」。
- 35歳、シリーズ第4作「007/サンダーボール作戦」
- 37歳、シリーズ第5作「007は二度死ぬ」を日本でロケ。 丹波哲郎、浜美枝が共演。出演後、出演料トラブルと、コネリー自身が役柄のイメージが固定化することを恐れ、次のシリーズ第6作「女王陛下の007」への出演を辞退する。
- 41歳、「女王陛下の007」で、コネリー後任の新人ジョージ・レーゼンビーが不評だったため、シリーズ第7作「ダイヤモンドは永遠に」で、これが最後のボンド役出演という条件で復帰。 この時の出演料100万ドル。 その後のジェームズ・ボンド役はシリーズ第8作〜第14作ロジャー・ムーア、第15作〜第16作ティモシー・ダルトン、第17作〜第20作ピアース・ブロスナンが引き継いでいる。
- 42歳、「ダイヤモンドは永遠に」の出演料すべてを投じて「スコットランド国際教育基金」を設立。教育、芸術、スポーツに対し毎年、数千万円に及ぶ支援を始める。
- 43歳、ダイアン・シレントと離婚。
- 44歳、アガサ・クリスティ原作、本格推理サスペンス「オリエント急行殺人事件」で、007シリーズで着けていたカツラを取り、若作りを止め、渋い演技で脱ボンドに成功。画家ミシュリーヌ・ルクブルンと2度目の結婚。
- 45歳、「風とライオン」でアラブを舞台に、誘拐したアメリカ人母子をリフ族の白髪初老、やさしくも野蛮で力強い首長役を演じ、その熟年の風格で脱ボンドを決定付ける。
- 53歳、別のプロダクション製作でシリーズ番外編になる、ボンド映画「ネバーセイ・ネバーアゲイン」で12年ぶりに007ジェームズ・ボンドを演ずる
- 57歳、「アンタッチャブル」で、腐敗した暗黒街を牛耳るアル・カポネに命がけで立ち向かう老警察官を演じる。 1987年度アカデミー助演男優賞を受賞。
- 59歳、ハリソン・フォード主演の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」でインディの父ヘンリーを演じ、大ヒット。 この年の興行収入トップの座を占め、堂々の貫禄を示す。
- 61歳、1991年、故郷スコットランドに愛情を込めて続けてきた活動が評価され、スコットランドで最も名誉ある「エジンバラ名誉市民賞」を受賞。
- 69歳、1999年、イギリス政府からナイトの称号を与えられる。
【現住居】
スペイン マルベラ(Marbella)
その他の住居:アメリカのアイオワ州に600エーカーの農場を持つ。
【離婚した妻】
ダイアン・シレント 1933年10月5日
女優 出演作「The full treatment」、「赤ちゃんよ永遠に SFロボットベイビーポリス」など
【家族構成】
妻 ミシュリーヌ・ルクブルン(Micheline Roquebrune) 1935年
画家
長男 ジェイソン・コネリー 1962年1月11日
俳優 「カサブランカ・エキスプレス」、「バイ・バイ・ベイビー」、父が演じたジェームズ・ボンド産みの親イアン・フレミングの若き日を描いた「スパイメーカー1990、テレビドラマ」など
【趣味】
ゴルフ
≪出演作/ショーン・コネリー≫
Lilacs in the Spring(1954年)
虎の行動(1957年)
地獄特急(1957年)
Another Time, Another Place (1958年)
四つの願い(1959年)
ダイナミック作戦(1961年)
007/ドクター・ノオ(1962年)
史上最大の作戦(1962年)
007/ロシアより愛をこめて(1963年)
マーニー(1964年)
007/ゴールドフィンガー(1964年)
007/サンダーボール作戦(1965年)
007は二度死ぬ(1967年)
シャラコ(1968年)
男の闘い(1970年)
赤いテント(1970年)
盗聴作戦(1971年)
007/ダイヤモンドは永遠に(1971年)
未来惑星ザルドス(1974年)
オリエント急行殺人事件(1974年)
オスロ国際空港ダブル・ハイジャック(1974年)
風とライオン(1975年)
王になろうとした男(1975年)
ロビンとマリアン(1976年)
遠すぎた橋(1977年)
大列車強盗(1979年)
メテオ(1979年)
さらばキューバ(1979年)
アウトランド(1981年)
バンデットQ(1981年)
シークレット・レンズ(1982年)
勇者の剣(1982年)
氷壁の女(1982年)
ネバーセイ・ネバーアゲイン(1983年)
ハイランダー 悪魔の戦士(1986年)
薔薇の名前(1986年)
アンタッチャブル(1987年)
プレシディオの男たち(1988年)
メモリーズ・オブ・ミー(1988年)
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989年)
ファミリー・ビジネス(1989年)
レッド・オクトーバーを追え!(1990年)
ロシア・ハウス(1990年)
ハイランダー2 甦る戦士(1991年)
ロビン・フッド(1991年)
ザ・スタンド(1991年)
ライジング・サン(1993年)
グッドマン・イン・アフリカ(1994年)
理由(1995年)
トゥルーナイト(1995年)
ザ・ロック(1996年)
ドラゴンハート(1996年、声のみ)
アベンジャーズ(1998年)
エントラップメント(1999年)
小説家を見つけたら(2001年)
リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い(2003年)
ショーン・コネリー 出演人気作品一覧
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