≪プロフィール/ジャッキー・チェン≫
【生年月日】1954年4月7日
【生誕地】香港
【性別】男 【身長】約173cm 【職業】俳優、監督、プロデューサー、脚本家
【略歴】
- 香港の那打素病院で生れる。 体重5500cもあったため、ボーボー(大砲)というあだ名がついた。
- 1歳、父・陳志平と母・陳月栄はフランス大使の屋敷に住み込む料理人&家政婦。
- 7歳、全寮制の中国戯劇学院に入学。 クンフー、歌、曲芸、踊りの厳しい特訓を受ける。 父がオーストラリアのアメリカ大使館で料理長の仕事に就くため渡豪。
- 8歳、"元楼"という芸名で、映画「大小黄天覇」に子役でデビュー。
- 11歳、学院の選抜メンバーである《七小福》に選ばれ、猛特訓を受ける。 母、渡豪。
- 17歳、学院を卒業。 芸名を陳元龍と変え、ブルース・リー主演の「ドラゴン怒りの鉄拳」に殴られる日本人役でスタントマンとして出演。
- 19歳、香港でクンフーの第一人者として絶大な人気を博していたブルース・リーが、主演した「燃えよドラゴン」完成直後に死亡。 同時にクンフー映画の人気が下り始める。
- 20歳、「燃えよジャッキー拳」でクンフーの修行に励み、悪徳組織とたたかう青年(初の主役)を演ずる。 しかし、その後、仕事が激減したためクンフー映画のブームは終わったと考え、オーストラリアの両親のもとへ移る。 昼は建築現場作業員、夜は中華レストランで皿洗い。 ここで仕事仲間からジャッキーと呼ばれるようになる。
- 22歳、「ドラゴン怒りの鉄拳」の続編である「レッド・ドラゴン」に出演を誘われ、帰国すると同時に芸名を現在の成龍に改め、ロー・ウェー・プロと契約する。 「レッド・ドラゴン」では武術を磨き悪に挑む主役を演ずる。 が、ブルース・リーの後継者としてジャッキーを起用したロー・ウェーの作品では彼の魅力は生かされなかった。
- 24歳、ブルース・リーがクンフーを怒りと死が一体となった華麗で悲愴な武術として演じたのに対し、コミカルな喜劇性を基調にクンフーアクションを演じ「ジャッキー・チェンの蛇拳」で敵対する鷹爪派拳法に蛇形派拳法の誇りをかけて闘う青年役を主演、コミカル・クンフーアクションの新風を送り込む。 更に同年「ジャッキー・チェンの酔拳」で秘伝の拳法・酔八拳を受け継ぐ若者を主演し大ブレーク、これが日本でのジャッキー映画初公開作となる。 世界的にも人気スターの仲間入りをはたす。
- 25歳、クンフーアクション「クレージー・モンキー/笑拳」で主役を演じると共に監督デビューを果たす。 香港の1979年度年間興行収入1位を記録。 年末突然、香港で失踪事件を起こし騒がれる。 後にゴールデン・ハーベスト・プロに引き抜かれたと分かる。
- 26歳、ゴールデン・ハーベスト・プロと契約、アメリカと香港の合作映画「バトルクリーク・ブロー」に出演、アメリカ進出第1弾となる。 しかし、ロー・ウェー・プロとの契約が残っていたため、もめる。 「バトルクリーク・ブロー」の日本公開に合わせてプロモーションのため初来日。 「バトル〜」で成功し、国際スターとなって香港に凱旋、「ヤング・マスター/師弟出馬」で主役、監督のほか脚本を初めて手がける。
- 27歳、アメリカからの帰国途中、立ち寄った台湾で女優リン・フェンジャオと知り合う。
- 28歳、「ジャッキー・チェンの醒拳」で父親の復讐に燃え八面六臂の大活躍を見せる役を主演するが、これで「ジャッキー・チェンの蛇拳」以降の一連のコミカル・クンフーアクションは終え、刑事役シリーズ、アクションものへと続く。
- 29歳、「プロジェクトA」のロケ地探しで訪れた台湾でリン・フェンジャオに再会、ロスで極秘結婚。
- 30歳、日本で初めて富士急ハイランドなどで「大福星」のロケを行う。 長男、陳祖明誕生。
- 31歳、「ポリス・ストーリー/香港国際警察」で、1985年度香港電影金像奨最優秀監督賞を受賞。 「サンダーアーム/龍兄虎弟」をユーゴスラヴィアで撮影中、木の枝へのジャンプに失敗、岩場で頭蓋骨骨折の重傷を負う。 右耳の聴覚障害、目のかすみなどの障害を残す。 現在にいたるまで彼が主演するアクションシーンではほとんどスタントを使わず、自ら命がけの演技に徹する。 鼻の骨折、右まぶた上に裂傷、右手指、左足のかかと、肋骨とあちこち骨折、トランポリンから地面に激突するなど文字どおり身体を張った世界No.1のアクション・スターとしての演技が、観客を魅了する。
- 34歳、死後の世界から舞い戻った美貌の幽霊の、激しい恋心を描いたファンタジー・ロマン「ルージュ」で初のプロデュース。
- 38歳、「ポリス・ストーリー3」で刑事(主役)を演じ、この作品で初めてレナード・ホウと共に製作・総指揮を手がける。 1992年度台湾金馬賞最優秀男優賞を受賞。
- 40歳、「酔拳2」で主演。 久々のコミカル・クンフーアクションを演ずる。
- 41歳、「レッド・ブロンクス」で刑事(主役)を演ずる。 香港1995年度年間興行収入第1位。 全米興行収入週間ベスト・ワンを記録する。
- 42歳、台湾の台北で、中国文化芸術パイオニア賞を受賞。
- 45歳、「ゴージャス」でプロデュース・主演。 台湾から香港に渡ってきた純朴な娘と愛し合うやり手の実業家役で、初のラブ・ストーリーに挑戦。
- 48歳、ハリウッドの殿堂入りを果たし、星型のブロンズをハリウッドの目抜き通りに埋め込む式典が開かれた。 中国武術とコメディの要素をアクション映画に取り入れアジア映画の魅力を高めたことを評価したもので、アジア系俳優としては10人目。
【現住居】
香港
【家族構成】
妻 リン・フェンジャオ(Len Feng-Chiao)
女優 出演作「He Never Gives Up」など。
長男 陳祖明 1984年
【趣味】
スポーツカー
映画鑑賞
≪出演作/ジャッキー・チェン≫
大小黄天覇(1962年)
ドラゴン怒りの鉄拳(1971年)
燃えよジャッキー拳(1974年)
ジャッキー・チェンの鉄指拳(1974年)
レッド・ドラゴン(1976年)
ジャッキー・チェンの少林寺木人拳(1977年)
成龍拳(1977年)
カンニングモンキー天中拳(1978年)
ジャッキー・チェンの蛇拳(1978年)
蛇鶴八拳(1978年)
ジャッキー・チェンの酔拳(1978年)
ジャッキー・チェンの拳精(1978年)
ジャッキー・チェンの燃えよ!飛龍神拳怒りのプロジェクト・カンフー(1978年)
ジャッキー・チェン龍拳(1978年)
クレージー・モンキー笑拳(1979年、兼監督・脚本)
バトルクリーク・ブロー(1980年)
ヤング・マスター師弟出馬(1980年、兼監督・脚本)
キャノンボール(1981年)
ジャッキー・チェンドラゴン特攻隊(1982年)
ジャッキー・チェンの醒拳(1982年)
ドラゴンロード(1982年、兼監督・脚本)
キャノンボール2(1983年)
五福星/THE 5 LUCKEY STARS(1984)
スパルタンX(1984年)
プロジェクトA(1984年、兼脚本)
七福星(1985年)
大福星(1985年)
ファースト・ミッション(1985年)
プロテクター(1985年)
ポリス・ストーリー香港国際警察(1985年、兼監督・脚本)
サンダーアーム龍兄虎弟(1986年、兼監督)
プロジェクトA2史上最大の標的(1987年、兼原案・監督)
ルージュ(1987年製作のみ)
サイクロンZ(1988年、兼製作)
ポリス・ストーリー2九龍の眼(1988年、兼監督)
奇蹟<ミラクル>(1989年、兼監督・脚本)
ストロンゲスト史上最強の映画スターは誰だ!?(1990年)
プロジェクト・イーグル(1990年、兼監督・脚本)
炎の大捜査線(1991年)
ツイン・ドラゴン(1992年)
ポリス・ストーリー3(1992年、兼製作総指揮)
シティーハンター(1993年)
プロジェクトS(1993年)
新ポリス・ストーリー(1993年)
酔拳2(1994年)
デッドヒート(1995年)
レッド・ブロンクス(1995年)
ファイナル・プロジェクト(1996年)
ナイスガイ(1997年)
WHO AM I ?(1998年、兼監督・脚本)
ラッシュアワー(1998年)
ゴージャス(1999年、兼製作)
シャンハイ・ヌーン(2000年、兼製作総指揮)
ラッシュアワー2(2001年)
アクシデンタル・スパイ(2001年)
タキシード(2002年)
シャンハイ・ナイト(2003年、兼製作総指揮)
メダリオン(2003年、兼製作総指揮)
失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン(2003年)
80デイズ(2004年)
香港国際警察 NEW POLICE STORY(2004年)
THE MYTH/神話(2005年3月18日より日比谷みゆき座他全国公開)
ジャッキー・チェン 出演人気作品一覧
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