サラエボ、希望の街角:作品を観た感想(6)

サラエボ,希望の街角/Na Putu
恋人がイスラム原理主義に傾倒してゆく背景に紛争の記憶が在るは確かでしょうけれども、自立をした彼女に対し抱いている劣等感もまた在るのだろう。そりゃ何某かへの依存心が芽生えても詮無いわね、という具合に理解に務めつつ観た訳です。しかし果たして情感がところで同調してそぼ濡れる事が難く、物語に関してもとある決断までの煩悶に白けさえするほど単に順当に展開したものとしか受け取れず、つくづく己の自意識過剰と男根主義が絶対的なものであるとの認識を改めたに過ぎなかったのでした、と。
Death to Mary Pumpkinhead
2011年6月24日

『サラエボ,希望の街角』
原題のNa Putuは、"On the Path" 途上、〜の途中という意味。サラエボの街も人も、まだ自由への途上にあり、ルナとアマルの愛の行方もまた、人生という長い道のりの途中。通過点であるというこの状況を「希望」という言葉に言い換えて補足した邦題の優しさが胸に染みる。途中である以上は先がある。消せない過去があったとしても、今と未来がある。そんなふうに続いていく人生への予想図に希望を見出そうとするような余白こそが、この映画のメッセージなのかもしれない。密やかに哀しみすら滲ませた笑顔の向こう側に、彼女は何を見るのだろう。
シネマな時間に考察を。
2011年4月13日

『サラエボ,希望の街角』(2010) / ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ドイツ
★★★★ やはり自分の原点に逆らうことは、人間、そうそう出来ないような気がします。日常的にイスラム教との関連は不可欠な生活ではあるけれど、やはりそこに全面的に入ることは、たぶんルナの根本的なものが許さなかったのだと思いました。物語の背景にあるものを詳しく調べた方が、この映画が言わんとしていることの本当の意味がわかってくると思います。民族的に日本人には理解しにくい部分もあるかもですけど、命をかけて自己を貫きたいと葛藤するルナの姿は、自分を取り巻く流れにハッキリとNOを突き付けていくという意味で、共感を得るところが多いように感じました。
NiceOne!!
2011年3月31日

『サラエボ、希望の街角』:第17回大阪ヨーロッパ映画祭
見応えのある一本でした。アマルの心に刻み込まれた戦争による傷がアルコールへの依存になり、やがて信仰に心の拠り所を見つけようとする様は理解できる。一方のルナのように心に傷痕を持っていながらも、強く前を向いていこうとする人間にとってアマルのような態度は後ろ向きに写って、ついて行けないと思う気持ちになるのも理解できる。改めて宗教や戦争や平和について考えされられる作品でしたし、最後にCAとして飛行機に搭乗する前のルナが振り返って見せる笑顔が、未来を感じられるラストで良かった。
だらだら無気力ブログ
2011年3月6日

「サラエボ、希望の街角」
"サラエボ戦争"により目の前で両親を殺されたルナ。戦場で過酷な体験をし、その後アルコール依存症となったアマル。二人が引きずっている哀しみは底深い。しかしそれを乗り越え、ルナは西洋的で、前向きな生き方をして来た。なのにアマルはイスラム原理主義に傾倒し、古くさい生き方に戻ろうとしている。愛するアマルのそんな姿を見るに忍びないルナは自身の中で葛藤を繰り返す。"家に戻ってくれ!"と言うアマルに、"あなたが戻って来て!"というルナの言葉…それは"前のあなたに戻って!"と言う気持ちがこもっていて素晴らしかった。
ヨーロッパ映画を観よう!
2011年2月27日

サラエボ、希望の街角
★★★★ ルナはどうやら仕事と愛する人の子供を得ること、即ち自らが失ってしまった家族を再生することを望んでいました。ところがアマルはそうではなかった…。キャンプから戻って以降の2人を観ているのは非常に辛いものがありました。女性監督が女性の視点から描いた作品だけに、ルナの自然な感情の奔流が実に解り易い作品でした。原題「NA PUTU」はサラエボ語で「道の途中」という意味。正にサラエボの街も人々も再生の途中。本作はそんなサラエボの一コマを切り取ったものだと言えるかもしれません。ルナの本当の笑顔が見たい…。
LOVE Cinemas 調布
2011年2月25日


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