ドッグヴィル
残酷なことが隣で行われていようとも静かな日常が滞りなく進行している情景が同時に描かれ、それがまさに欺瞞と村の悪辣さを際立たせていく要素になっている。トム役ポール・ベタニー目当てで見た本作だったが、思っていた以上に醜悪な映画で、監督を調べてみたら、ラース・フォン・トリアー氏。ああ…(納得)。観る人の感情を逆立てる作品を作るのが巧い監督ですものね。本作はとことんエグイ話である。映画としてはとてもよくできているが、もう一度見る精神力はないです…。あー、トムのグレースを抱こうとした後半の身体をくねらせる腰使いは良かった。
いやいやえん
2015年8月2日
【審判の日】「ドッグヴィル」/ラース・フォン・トリアー
ベルトルト・ブレヒトの三文オペラに、「海賊ジェニー」という劇中歌が登場する。このオペラに着想を得たのが、ラース・フォン・トリアーだった。軽妙さとはかけ離れた演出とシナリオによって、彼の奇巧は存分に発揮されている。家や通りはすべて白線で囲った単純な図形で表され、1人の女と、村人たちの人間関係の描写のみで3時間近く鑑賞させるのだから、溜飲が下がる。
Augustrait
2005年8月14日
映画鑑賞感想文『ドッグヴィル』
『DOGVILLE/ドッグヴィル』を観たよ。すごいね。この映画はすごい。 テーマは傲慢さ(Arrogance)。寛容、許し、協調、親切、信頼・・・あらゆる善意に鏤められた醜い傲慢さは、人の原罪とでも呼ぶべきものかもしれない。他人事ではないよね。“Arrogant”と言う言葉が何度も出てくるので、しばらく頭んなかでグルグルしてたぞ。
さるおの日刊ヨタばなし☆スターメンバー
2005年5月3日
小公女グレース
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「奇跡の海」「イディオッツ」など、ある意味よくあるパターンの不幸話を徹底的やっちゃうことで「ああ、やっちゃった・・・。でもなんだか爽快。てか快感」と思わせてくれるのが筆者にとってのこの監督である。
+ I N T R O +
2004年4月20日
「主いい給う。復讐するは我にあり。我これを報いん」
ドライヤーほど神がかってはおらず、べルイマンほどの威厳もない永遠の映画青年ラース・フォン・トリアーもまた、走る列車や不気味な大病院という密室、あるいは密室を模した僻地の閉ざされた共同体を舞台に、弱者を蹂躙する人間の醜悪さ、それによって止揚される「神の存在/不在」という物語を妄想たくましく語ってきた。
+ I N T R O +
2004年4月20日
東洋思想への眼差しと萌芽
『奇跡の海』では全編手持ちカメラによる撮影『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では更に、その手法に固定カメラで撮影したミュージカルシーンを対置させるといった具合に、作品ごとに試みられるアプローチゆえに、ラース・フォン・トリアーの作品には「奇抜」という形容がついて回る。
+ I N T R O +
2004年4月20日
善意と悪意の裏返し
DOGVILLE レイトショーでやっていたのでふらふらと吸い込まれるように見に行く。 しかし、気軽に見れる映画ではなかった。 3時間重たかった。 でもいい映画です。ちと気合いれて見に行かないときついけど。...
etc.
2004年3月22日